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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)1093号 決定

本店所在地

仙台市一番町一丁目二番一一号

横山商事

有限会社

右代表者取締役

横山よし子

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和五九年七月一二日仙台高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人渡邊大司の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決はなんら所論引用の判例と相反する法律判断をしているものではないから、所論は前提を欠き、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、弁護人柴田正治の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は事実誤認、量刑不当の主張であり、弁護人大島弘の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎)

昭和五九年(あ)第一〇九三号

○ 上告趣意書

被告人 横山商事有限会社

(右代表者取締役 横山よし子)

右の者に対する法人税法違反被告事件について弁護人の上告趣意は左のとおりであります。

昭和五九年九月二七日

右弁護人 渡邊大司

最高裁判所第二小法廷 御中

原判決は、最高裁判所の判例(昭和四二年一一月八日大法廷判決)に違反し、かつ判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認及び法令違反があるので、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

原判決は、第一審判決挙示の各証拠を総合すれば、土地販売等を営業目的とする被告会社の代表者代表取締役としてその業務全般を統括していた横山新二郎が、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、開発協力費二億五、六五〇万円なる架空仕入及び支払手数料六、〇〇〇万円なる架空経費を計上して簿外の架空名義及び他人名義の銀行預金を設定するなどの方法により被告会社の所得を秘匿した上、昭和四八年三月一日から昭和四九年二月二八日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が六億〇、八三四万五、八〇六円で、これに対する法人税額が二億二、〇七六万七、九〇〇円であったにもかかわらず、昭和四九年四月三〇日仙台中税務署長に対し、所得金額が二億九、四七五万五、八〇六円で、これに対する法人税額が一億〇、五五二万六、四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税額と右申告税額との差額一億一、五二四万一、五〇〇円を免れた旨認定して有罪とした原審の措置は、原判決が所論指摘のほ脱の実行行為及び故意の点に関し「弁護人の主張に対する判断」の項において詳細に認定説示するところを含めて優にこれを首肯することができるものである。

と、犯則の事実(実行行為)としての菊地徹郎に対する二億五、六五〇万円の報酬支払(第一審判決書添付別紙1修正損益計算書の勘定科目仕入高)と不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料支払い(右同勘定科目支払手数料)、そして法令の適用を含めて、第一審判決をそのまま是認しているものである。

しかし原判決は左の事由からして最高裁判所の判断と相反するばかりでなく事実認定並に法令の適用を誤った違法なものである。

ほ脱罪は故意犯であり税を免れるという結果を必要とする実質犯である、故意犯であるから構成要件に該当する事実の認識を必要とすることは当然のことである、また本件の法人税法第一五九条第一項(逋脱罪)の構成要件は「偽り不正の行為」により納税を免れることであるが、この構成要件の中核となる「偽り不正の行為」について最高裁判所は「逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうもの」と解している(昭和四二年一一月八日大法廷判決、但しこの判決は旧物品税法(昭和二四年法律第二八六号による改正前のもの)第一八条第一項による「詐偽その他不正の行為」についての判断であるがこの「詐偽その他不正の行為」と現行法(物品税法、所得税法、法人税法)の逋脱罪の構成要件である「偽りその他不正の行為」とは同一意義であると考えられる)。

ところで、本件被告人等については右の如き「逋脱の意図」も「偽り不正の行為」も存在しないものである。

一、原判決(第一審判決)が、「偽り不正の行為」の骨子とするところは

被告会社の代表者である横山新二郎が法人税を免れようと企て、架空仕入(開発協力費二億五、六五〇万円)、架空経費(支払手数料六、〇〇〇万円)を計上した、

これを簿外の架空名義及び他人名義の銀行預金を設定するなどの方法によって被告会社の所得を秘匿した、

というにある。

しかし被告会社代表者である横山新二郎には「法人税を免れようと企て、架空仕入及び架空経費を計上して簿外の架空名義及び他人名義の銀行預金を設定するなどの方法により被告会社所有の所得を秘匿した」という事実も、そのような認識もなかったものである。また客観的にみて、あり得ないことである。

(一) 本件の事実関係について見ると、被告会社は、昭和四八年事業年度(48・3月から49・2月までの)における公表帳簿にはすべての取引を計上し、財務諸表である損益計算書、貸借対照表にもすべて計上されているものであってその所得を秘匿したということはない、菊地徹郎及び不動産企画に対する支払は実名義で、現実に支払をし、口座振込みをなした、即ち社外に流出したもので架空仕入、架空経費を計上したり簿外の架空名義の銀行預金を設定したということもない。

原判決は(第一審判決も)「簿外の架空名義及び他人名義の銀行預金」と認定している、この「簿外」の意味が明確ではないが、帳簿上は記帳されていない、あるいは落されている(支出されている)が実質的には記帳されているときと変りなく被告会社の所有あるいは支配下にあることを意味しているものと思われる、しかしそれは誤った解釈であると思料する、原判決も認めているように菊地に対する二億五、六五〇万円については被告会社より支出し、菊地名義の預金である、不動産企画に対する六、〇〇〇万円については銀行を通して送金している、ただ菊地の預金通帳、印鑑を横山新二郎が保管していたというに過ぎないものである、原判決は預金通帳、印鑑を被告会社代表者である横山新二郎が保管管理しているので、即ち被告会社の支配下にあるもの、被告会社所有と認定したようであるが、会社代表者の行為が直ちに会社の行為となるものではない、会社代表者にも個人としての経済取引もあれば活動もある、従って会社代表者が菊地名義の預金通帳、印鑑を保管していることから簿外の預金、あるいは社外流出してないものと認定することはできないものと思料する。

菊地に支払った二億五、六五〇万円についての伝票、元帳に「開発協力費」(あるいは手数料)と記帳し、勘定科目を仕入(開発協力費)と記帳し、不動産企画に支払った六、〇〇〇万円についての伝票、元帳に「支払手数料」と記帳している。

これらの記帳は法人経理の実務上の処理として不当でも違法でもないものであり、また企業会計において一般的に用いられている会計処理の基準を著しく逸脱するものでもない、この記帳について菊地徹郎は第一審の証言(52・1・14付)中で、「原価性ありというので仕入勘定にした、勘定科目は自分の方で決めたもので、これは支払の名目でして、会社が仕入と認定すれば、別に第三者から、とやかく言われる筋合はない」と述べているが、これまさに法人経理の実務上の処理として何ら不当でないことを言わんとしたものである。

ただこのような経理上の処理をし税申告したとしても税法上の所得の計算において実質上、損金に見られるか、それとも所得と見られ、損金に計上されてあれば否認されるということだけであって違法でも不当でもないことである。

(二) 原判決(第一審判決も)は「被告会社と菊地徹郎や不動産企画との間に右のような巨額の金員の贈与ないし報酬、手数料等の支払がなされてしかるべき関係があったとは到底認められない」と摘示してこのことから、被告会社の本件支払が架空(偽り不正)のものであったことを推認しているようである、しかしこの認定は会社の経済活動あるいは会社の私的自治を全く無視した誤った考えである。

税法の規定する課税要件は一般の私的経済活動を定型化したものであるとされているが、この私的経済活動はすべて私法によって規律されるものである、即ち会社(法人)は同時に経済人であり、その活動(取引)を律するものは私法(商法、民法等)である、私法で律される限りそこに先づ契約自由の原則があり、私的自治の原則が働くことになる、従って当事者は、その経済的目的を達成するために、どのような法形式を用いるのが、より大きな経済的効果を実現できるかという選択の自由(余地)がある、法人独自に私法上許されている方法形式による事業あるいは取引の遂行は私法上適法、有効なものであり、税法上も何ら違法なものではない。更に換言すると税法が規定している、あるいは予期している、定型化された経済活動(取引)を行わないとしても、それが、不当、違法ということにはならない、ただ税務当局は税法の規定する課税要件に照し、または税法における根本原則たる負担の公平を阻害するものであるときは、当事者が用いた私法形式とは関係なく税法上これを無視して本来の税法の定める課税要件が充足されるものと扱うだけのことに過ぎないものと思料する。

ところで、被告会社の菊地徹郎に対する二億五、六五〇万円の報酬支払い、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料の支払いは実名をもって現実に支払されたもの(社外に流出した)、即ち被告会社の真意に基づいて支払われたものであり、受領した菊地も、その趣旨ないし理由はともかくとしてこれを現実に受領することを承諾しているものである(同人の58・6・3。6・12の証言等)、不動産企画にしても同様である(第一審証人児玉敬重、同吉田研二)、その名目理由はどうであったかは別としてこれら金銭の授受は私法上適法有効なものである、また支出(社外流出)は決して虚偽でも、仮装行為でもない現実のものである。

その流出金についての会計処理方法が法人経理の一般の基準にそわなかったとしても、そのためにその取引が架空であるということにならないし、私法上違法あるいは無効となるものでもない。

被告会社から支払われた後に、その保管あるいはその管理行為が、どのようになっていたか、あるいは直ちに返還(解約あるいは取消等)されたとかいうことは、取引(流出した)後の私法上あるいは私的自治の問題であって支出した(社外流出した)即ち一旦発生した私法上の効力に消長を来す筋合のものではない。ただ税法上はその取引(菊地の二億五、六五〇万円についての被告会社代表者である横山新二郎の管理行為、不動産企画の返還等)がどのような計算となるか(誰の何時の利益金あるいは損金として計上されるか)の問題だけである。

なお不動産企画より返還された(昭和四九年二月二七日送金、同年三月五日返還)金五、五〇〇万円については被告会社の諸帳簿に記帳されずに保管されたり、他人名義で預金されたりしていたが、しかし右の取引は被告会社の昭和四九年三月一日から昭和五〇年二月二八日までの事業年度におけるものであるから仮令一時的に経理処理をせず、他人名義を用いての預金としておいても、その期中にこれが記帳あるいは収入金等として計上すれば全く問題のないことである、またこの期の法人税確定申告書は昭和五〇年四月三〇日まで提出されべきもものである、その確定申告書において、はじめて利益金あるいは損金としての計上が明らかとなり、かつ税務当局は、その申告書に基づいて利益あるいは損金の妥当性について決すべきものであるのに、いまだその時期到来以前に強制調査(昭和五〇年一月二八日)が行なわれたために被告会社としてはその決算期における経理処理も確定申告もできなくなったものである。

菊地に対する支払金は昭和四九年一月二一日であるから、これについての菊地の所得税の確定申告書は昭和五〇年三月一五日まで提出されべきものである、菊地もこの収入金に対して右時期には確定申告することとしており(同人の第一審及び原審における証言)また被告会社としても、同人が申告するものと考えていたものである、それがその時期以前の強制調査が行われたために解約返還(昭和五〇年二月二八日)せざるを得ないこととなったものである。

勿論税法上の犯罪は、その事業年度毎に成立する(既遂)ものと解されているが、しかしこれは、はじめから徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようなおそれがある場合だけである、本件のように実名で現実に支出し、受領者等が、それぞれの受領金について申告しかつ課税されるような状態にあり、かつ一見してその支出処分行為が如何なるものかを判断できる場合に適用されべきものではないものと思料する。

(三) 会社(法人)は所謂経済人であるが、その企業のためには経済的に合理的でない行為も敢えて行わねばならぬことが多くある、利益の処分行為などもその一つであると考えられる、そしてその方法形式もいろいろあるが、その利益処分が経済的に合理性あるいは妥当性がないような方法形式をとったとしても私法上不当、違法となることはなく、また税法上それが直ちに逋脱あるいはその手段となるものではない、また公表諸帳簿、証憑書類等の記帳あるいは作成形式が一般的な会計処理基準に合致していないとしても、税法上これが直ちに不当、違法なものとなるものではない。

本件の菊地に対する二億五、六五〇万円の報酬支払い、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料支払いは被告会社の運営上の必要から支出したものであるがその形式はともかく、実質的には利益処分である。

法人税法上における利益処分は決算時に行なう形式的な利益処分に限られるものではなく形式的には利益処分の形をとっていなくとも実質上利益処分として取扱うべきものがある(隠れた利益処分)、この利益処分は法人税法上損金に計上されないものであることは勿論である、被告会社は形式的(諸帳簿、証憑書類上)には利益処分の形をとっていないが実質上の利益処分と考えられる右の支出金(菊地、不動産企画に対する)を損金と計上して法人税の確定申告をしたものであるから税務署長は隠れたる利益処分として当然にこの損金計上を否認し更正処分等を行うべきであったものと思料されるのに、そのような手続を踏むことがなかったものである。

(四) (イ) 本件の菊地に対する二億五、六五〇万円の報酬支払、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料の支払は実名による現実の支払(社外流出)であり、その方法においても税の賦課徴収を不能ならしめるものでも、また著しく困難ならしめるものでもない。

現に昭和四九年一一月二五日ころ行なわれた仙台中税務署の税務調査において、本件の支払いは経費あるいは損金として認められないことを指摘され、かつ調査官からこの分に対する三重課税(被告会社より社長横山新二郎に対する賞与金とみなし、そして同人から菊地徹郎等に対する贈与とみなす課税)を示唆されている(第一審及び、原審における菊地徹郎の証言)このように本件支出に対する税の賦課徴収は不能なものでも困難なものでもなかったことが極めて明らかである。

また被告会社代表者等にはほ脱の意図など全くなかったものである。

被告会社代表者等にほ脱の意図のなかったことについては、実名で、現実に支出していることからして明らかであるが、菊地徹郎は第一審の証言中で、「実名での支払いであるから、税金は当然に納めるつもりである、脱税するつもりはなかった、脱税の相談とは考えていない、横山社長は税金を法人税で納めるも、所得税(菊地の収益として)で納めるも、官に入る金は同じだとの考えを持っておったと思われる、若し脱税して金をつくるというなら、私に報酬を支払うこと自体間違いである、菊地が受取った報酬に対して支払う税金よりも、横山商事の利益として支払う税金の方がはるかに少ない、そのことは横山社長も充分知っていた筈である」旨等、述べていることからしても極めて明らかである、また菊地が受領した二億五、六五〇万円に対しては約九〇%の所得税が課せられることを予測してその受領金額を定期預金等にしてそのまゝ管理保管していたことからしても脱税(ほ脱)の意図のなかったことが容易に推認されるところである。

不動産企画についても第一審証人小玉敬重、同吉田研二は預ったものと述べているが、その目的、趣旨がどうであろうと金六、〇〇〇万円を実名で現実に社外流出したことは事実である、私法上は適法にして有効なものである、それが直ちに返還されることの約定であったかどうかは当事者の私的自治(契約自由の原則)に関する問題である、税法上から敢えて言うならば、支出側(横山商事)と受領側(不動産企画)の責任でなされたものである、即ち税務上での不利益を覚悟の上での支出であり、受領であると言うことだけであって、そのことが直ちにほ脱の意図を推測させたり、税の賦課徴収を不能または困難ならしめたりするものではない。

(ロ) 被告会社の本件支出金の目的、趣旨が報酬、あるいは手数料というのは経済人として通常の経済行動からすれば定型的あるいは合理的なものとは言えないかも知れない、しかし企業がその業務遂行上の必要から費途(使途)を秘して支出する即ち第三者に知られては困るため費途を隠匿する支出金は実務上多くあることである、通常費途不明金(使途不明金)あるいは使途秘匿支出金と称されるものの一つの形態と思料される、会計上の「記帳真実性の原則」からすると虚偽隠ぺい仮装とも考えられるが、しかし一方企業の存続性、そして会計慣行としての「保守主義の原則」(将来の危険に備える)とのかね合いからすると不当違法ではないものと考えられている、ただこの場合においても、税法上は支出側である法人自体の責任(即ち税務上不利益を覚悟して)であることは言うまでもないことである、従って支出金の目的なり趣旨なりが、通常の経済行動とは異なるものであったとしても、そのために税の賦課徴収を不能または困難ならしめるものではない。

(ハ) 原判決(第一審判決も)では菊地との間の「確認書」、「報酬算定同意書」、「念書」、不動産企画との間の「契約書」、「領収書」の作成は税の賦課徴収を不能若しくは著しく困難ならしめるような手段として偽計あるいは工作というように考えられているようであるが、これらの内容が事実と反する(虚偽)ものであったとしても、これによって税の賦課徴収が不能若しくは困難となるものではないと思料する、即ちこれらは被告会社から菊地、不動産企画に対する報酬、あるいは手数料としての支払を正当化する証憑書類として作成されたものと思われるが、私法上(私的自治)、これらの証憑書類の有無、あるいはその内容の真偽に関係なく被告会社の報酬あるいは手数料の支出は有効なものであり不当違法なものではない。

また税法上からしても実名で現実に支出されている限り仮令内容虚偽の証憑書類が存しているとしても、またその形式がどのような処理になっておろうと損金に計上されべきものか、利益金に計上されべきものか、一見して判定でき得るものである、また受領したものは、その所得に対して税の賦課徴収がなされることも当然のことである。

いずれにしても右の如き証憑書類の存在は如何なる意味においても税の賦課徴収を不能あるいは困難ならしめるものではない。

二、被告会社は昭和四九年四月三〇日の法人税確定申告において、菊地に対する二億五、六五〇万円の報酬、不動産企画に対する六、〇〇〇万円の手数料について、これらの支出に原価性あり即ち収益を得る必要な経費として損金に計上しているのである。この計上方法は租税回避行為に当たるとも考えられる、即ち税法上通常予定されている取引形式を選択せず、これと異った取引形式を選択したその結果、課税要件を充足しないものとなって、横山商事の昭和四八年度決算期における租税負担は実質的にこの分だけ軽減させる申告となったからである。

しかし租税回避行為は脱税とはその本質を異にするものと思料する、即ち、脱税は当初から租税負担をごまかす意図をもって事実を偽わり仮装隠ぺいする等、虚構する点に違法性を帯びるが、前者は納税者の真意に基づく行為であって私法上は適法有効であり計算上は偽りはないが、しかしそこに社会通念と一致しない経済的合理性を全く無視したような不自然性が存するものである、これに対しては税法上の行政処置をとるべきものとされている、即ち税法は純経済人が合理的、経済的に行為計算を行うべきことを前提として、かような行為計算に基づいて生ずる所得に対し課税するものであるから経済人として通常経済的に合理的に行動すれば、当然にとるべき筈の行為計算をとらないで、税を軽減した場合には租税公平の原則からして、かかる行為計算を否認することが許されるものと考えられている(行為計算を否認することが許されるものとして考えられている(行為計算否認についての規定は存しないとして租税法律主義の原則から否定する見解もあるが、租税公平負担の見地からこれを肯定するのが通説となっているものと考えられる)、従って税務当局は私法上の形式あるいはその効力に関係なく(これを無視して)本来の課税処置即ち否認し更正(国税通則法第二四条第二六条)決定(同法第二五条)処分等の行政上の処置をなすべきものであったと思料する。

ところで税務当局は被告会社について昭和四九年一一月二五日ころ税務調査をなし、その結果菊地に報酬として支払った二億五、六五〇万円並に不動産企画に手数料として支払った六、〇〇〇万円及びその解約返還について、税法上原価性のないこと(利益処分)即ち損金とならないものと認定しながら(但し解約返還入金についてはいまだ法人税確定申告の時期が到来してない、従ってこの分についての確定申告書は提出していない)その支払(解約返還)についての私法あるいは私的自治の分野にもはいり、これを仮装あるいは無効なものとし、しかも菊地からの「返還して更正申告する」との申出も全く無視し、税法上の行政処置をとることなく、ほ脱犯として告発したものと思料されるが、原判決も被告会社の前記行為について税法上の租税回避行為と司法上の脱税行為とを混同誤認したものと思料する。

昭和五九年(あ)一〇九三号

○ 上告趣意書

法人税法違反 被告会社 横山商事有限会社

右事件につき、昭和五九年七月一二日、仙台高等裁判所において言渡された判決に対し、被告会社より申立た上告の理由は左記のとおりである。

昭和五九年九月二九日

右弁護人弁護士 柴田正治

最高裁判所第二小法廷 御中

一、原判決には、証拠の価値判断を誤って事実を誤認し、無罪であるべき本件を有罪とした憲法三一条に云う法律の定める手続によらないで刑罰を科した憲法違反の違法があるので、破棄せらるべきものと思料する。

(一) 原判決は、本件控訴を棄却し、その理由を次のように述べている。

被告会社と菊地徹郎や不動産企画株式会社との間に、右のような巨額の金員の贈与ないし報酬、手数料等の支払がなされてしかるべき関係があったとは到底認められない上、

1. 本件二億五、六五〇万円の支払についてみると

(1) 徳陽相互銀行発行にかかる菊地名義の同額の通知預金証書及びその預金の際横山新二郎が作成した菊地名義の印鑑は、右横山が自宅に保管していたこと。

(2) 右横山は、本件金品の支払が正当な経費であると見せかけるため、菊地との間で、その頃右金員を受領した旨の領収「証」を作成したほか、被告会社の本件事業年度後の昭和四九年三、四月頃になって、右金員の授受に関し、内容虚偽の昭和四八年一〇月一日付「確認書」、同四九年一月一五日付「報酬算定同意書」、同月二〇日付「念書」を作成したこと。

(3) 同年四月三日、菊地名義の前記通知預金が解約され、その元利金のうち四、四八九万七、七四九円が前記徳陽本店に、二億円が七七銀行本店に、それぞれ菊地名義の定期預金として預け入れられ、残金一、三〇〇万円は七七卸町支店の被告会社の当座預金口座に預け入れられたが、それらの預金の操作はすべて菊地の事前の了解を得ることななく、右定期預金証書二通も同人が自宅に保管していたこと。

(4) その後、税務署の税務調査や国税局の強制調査が行われた後の同五〇年二月二八日に至り右定期預金二口が解約され、その元利合計金が七七卸町支店の被告会社の当座預金口座に預け入れられたこと。

2. 本件六、〇〇〇万円の支払についてみると、

(1) 横山は、右金員送金前の日四九年二月二〇頃、不動産企画の取締役小玉敬重等に、「六、〇〇〇万円送るから一時預っておいてくれ」と依頼し、送金後の同年三月五日頃、東京に赴き自己の指示で事前に預金口座から右金員を引出していた小玉から五、五〇〇万円を受領し、そのうち二、五〇〇万円住友銀行仙台支店に架空人青山光久名義の普通預金口座に預け入れ残金三、〇〇〇万円を自宅に保管していたこと。

(2) 横山は、その後、右金員の支出が正当な経費であると見せかけるため、右小玉等との間で内容虚偽の同四八年七月一五日付「契約金」及び右金員を契約に基づく礼金として受領した旨の「領収証」を作成したこと。

(3) そして、横山は、一存で同四九年六月一七日頃、右青山名義の預金を解約して自宅に保管した上、同年一二月一七日頃、前記三、〇〇〇万円と併せ計五、五〇〇万円を七七卸町支店に架空人松山公治名義の通知預金とし、税務調査、強制調査後の同五〇年一月三〇日、右通知預金を解約し、その元利合計金を同支店の被告会社当座預金口座に預け入れたこと、が認められ、これらの事実関係に徴すると、被告会社から菊地及び不動産企画に支払われた前記金員は、それ以降も依然として横山が排他的に右各金員の管理支配を続けていたことが明らかであるから形式的にはともかく、実質的にみる限り、右各金員が被告会社から社外に流出したとは到底云えない。

と云う趣旨のものである。

(二) 然し、原判決の右判断と認定は誤っている。それは、証拠の価値判断を間違ったからである。

1. 本件菊地関係については、逋脱の意思はなかったものである。

(1) この菊地関係での重要問題の一つは、本件金員の原価性の有無であろう。原価性があるとされるならばほ脱の疑いは一掃される。

この点に関し横山は、質問てん末書(昭和五〇年三月四日付)三項で、菊地に本件金員を開発協力費として支払った理由として

イ 値上げと言う頭脳的な参謀の役割

ロ 会社側の秘密を守り、それを外部に漏らさない企業防衛上の見地からの配慮

ハ 土地売買交渉の際のアドバイス

ニ 経理全般についての仕事

ホ 実質参謀本部長、副社長と言った役割

を挙げている。

(2) 又、留目証人は、この原価性に関し、このように証言(一審一〇回公判)している。

菊地は、横山商事の会計内容をよく知り、深くいろんなことを知って携わっていた。

土地売買についても、買値、売値、利巾は全部把握しておって、裏面には立たなかったけれど、対西都関係では、いろんなアドバイスを横山社長にした。

(3) そうして、菊地は、この点に関し一審一二回公判で、こう証言している。

私は、経理事務その他につき横山から信頼されて、いろいろ相談に乗って来た。私の働きに対して支払われることについては、尨大な額であったが、強いて払おうとすれば、仕入勘定以外にない。費用は土地を買う費用だけではないと考えていたので、横山に相談したら原価性があるので仕入勘定でいいと言うことになった。

又、同一三回公判では、私が横山商事のやっている開発事業等につき、横山の相談に応じ、アドバイスした内容回数は、いちいち挙げられない。それが横山にとって重要かどうかは判らない。旨証言している。

更に、原審においては、本件金員は、報酬と言う名目で受領した。

金額の算出基礎については、開発の総体の金額から割り出し、手取り三、〇〇〇万円になるよう計算したと思う。名目は、ともかくとして手取り三、〇〇〇万円を貰おうとしていたことは間違いない。

横山商事は、当時、従業員二名に五、〇〇〇万か六、〇〇〇万の賞与をやっている。

値上げの交渉が成功すれば、二〇億か三〇億の利益になると思う。旨の証言をしている。

(4) 惟うに、機械的関係的労働に対する評価と違って企業に対する頭脳的寄与、貢献度の判定は、企業のトップが極く限られた首脳のみよくなし得るところのものであって、門外漢それが仮令、税務職員であっても、充分な説明を受けることなしには理解することは出来ないであろう。

横山は、その経歴の示すとおり、金儲けと人使いのウマサにかけては、卓抜した才能、手腕を持った老練な経済人であって、単なる事務職員に、一事業年度二、五〇〇〇万円もの賞与を惜し気もなく出す豪気、太ッ腹の人物である。

しかも、事件当時は、数拾億円と言う巨額の資金を動かして事業を進め、多額の利益を挙げ又、前記菊地証言の如く、土地値上げに成功すれば、二〇億か三〇億円の利益が転がり込んで来る情勢にあったものである。

そうして、前記留目証言にあるとおり、菊地は、税理士事務所勤務の事職員の埓を越え、深く横山商事に喰い入り、その中心を把握していたものと認められる。

この菊地が、前記菊地証言のとおり横山の相談相手となって、いろいろ助言、協力したことは本当であろう。

ところで、菊地の助言と協力が、その儘、ナマで生かされて企業の利益につながった場合もあるであろうが、そうではなくて、この助言等がヒントとなって、横山独自の飛躍的企業活動となり利益を得たことも容易に推測出来る。だとすれば、菊地の言う、助言等が、どの程度重要だったかは判らないと言う前記証言は頷けるし、横山の前記五項目に亘る供述記載も措信するに足る。

そして、これは前記菊地証言中にある「土地買収費用は、土地を買う費用だけではないと考えていた」旨の証言によって、尚一層明らかにされている。

(5) 以上のとおり本件金員の原価性は優に認めることが出来るのであって、この点を否定した原判決の判断と認定は形式的かつ皮相的で、全く本件の核心をついていない謬論である。

横山は、この原価について、法廷において大いにその妥当性を力説する予定であったが、惜しくも之を果さずに死亡した。それなればこそ、原審裁判所は、残された質問てん末書、供述調書、公判調書につき、深い洞察力をもって、右調書等の底にある真実の発見に努力すべきであったのに、これをした形跡はない。怠慢であり、失敗であったと言うべきである。

(6) 原判決は、本件関係で作成された領収証や確認書等は、見せかけのもの、内容虚偽のものと認定したが、間違いである。前記のとおり菊地証言は報酬として貰ったことを認めているので、これは問題はない。

確認書等であるが、菊地は一審一二回公判において、確認書等はあるが全部が全部内容虚偽と言うものではない。実際のものもある旨証言しているが、支払の目的、金額の確定、支払受領という基本的なものが具っておれば、その後に至って補完的、附随的条項が加えられたとて、本件金額と併せ考えれば何等異とするに足りない。

(7) 次は、原判決の言う横山による本件金員の排他的管理であるが、これも事実誤認である。菊地は、前記一三回公判において、横山から西武等から金を要求されて困っている。菊地にやった方がいい、税金は菊地が払えばいい、貰った金をパッパ使っては困るだろうから、後の運用は一応俺に委しておけと言われてそのようにした。

検察庁では、横山から裏金を作る操作に協力してくれと頼またて協力したと述べたが、自分の立場も考えて横山の方に押しつけてしまえばこっちのもいいだろうと考えてそのように供述した旨の証言、又、前記一二回公判での菊地の預金の保管方法は横山一任ということにした旨の証言、

更に同一四回公判での菊地の税金の引当金と言うことで横山保管にした旨の証言、

そうして原審における菊地の横山に保管を依頼したのは、何分、多額なので危険性その他を考えて依頼した。横山が勝手におろして使えない。それを消費した場合、納税と言う問題が後に残るので使えない。旨の証言がある。

更に一審公判一一回における留目証言、同一八回公判における菊地証言に明らかなとおり、菊地は本件金員の中から、一、三〇〇万円を出して、一、〇〇〇万円を横山に貸して同人が前に被告会社より仮払を受けたものの清算に当てると共に、菊地自身の同様の仮払いにも三〇〇万円入れて清算しておるのみならず、二、〇〇〇万円ともう一口の利息をも受取っている。

以上の事実からすると多言する迄もなく、原判決の言う横山による排他的支配は、間違った先入観による独断である。

なお、横山が本件金員を勝手におろし、菊地に無断でいろいろ事業その他に使用していたと言うならば別であるが、それは全くない。

尤も前記のとおり、本件金員の極く一部が被告会社の取引銀行口座に預金されているが、よくある取引銀行とのおつきあいと言うことであったものと認められ、これとて、他に流用、利用された事実は全くない。

(8) なお、横山は、政治家に政治献金をするための裏金を作ろうとして本件ほ脱に走ったとする点であるが、そのような事実はない。

この点に関し菊地は一審一八回公判において、裏金と言うのは、全く仮名、架空で隠匿し会社や社長が表に出さず自由に使う金のことで、本件の金は表に出しているので裏金には該らない。

政治献金やリベートに充てるため裏金を造ろうとしても、本件のような方法では、九〇%も税金に持って行かれるのでは、現実的に不可能である。旨証言しているが、前記のとおり、本件金員ビタ一文も政治献金等に向けられていない事実と併せ考えると、裏金を作って云々の件は事実無根かつ不可能でである。

(9) 原判決は、本件金員が、後日、菊地から被告会社に戻された事をもって、本件ほ脱の一つの証拠としているが、これは、前記一八回公判における菊地証言にもあるとおり、税務調査を受けた際、係員より三重課税等と言われたため面倒になって返還したと言うだけのことで、外に全く意味はない。色眼鏡で見れば物事万事色がついて見えるの道理で、原判決の認定は間違っている。

(10) 本件は、税務処理についての税務当局との見解の相違、横山等の誤解によって惹起されたものである。

原審における菊地証言で明らかなとおり、本件についての税務調査等がなされた当時、三重課税と係官より指摘された際、それでは被告会社に戻す旨、担当調査官に報告しその諒解を受けたが、その後、この問題についての税務当局より適切な指示はなかった。

それで、横山等は、本件金員について原価性は当然あるものとして確定申告し、後日、問題がムシ返された場合、本件金員を被告会社に戻して税務処理すれば税金について税務当局に迷惑をかけることにならないとの判断の下に、本件確定申告をしたものである。もとよりこれは一つの見解でもあり、又、誤解でもあるが、とにかく本件逋脱につき犯意、故意を欠いていることは間違いない。

(11) 菊地証言及び横山の供述調書等の価値判断に当っては非常な慎重さが必要である。と言うのは、何故菊地は本件の共犯として逮捕されなかったのであろうか。逮捕当然と思われる案件である。又、何故共犯として起訴されなかったのであろうか。特に、その検察官調書が問題である。前記一三回公判における菊地証言、即ち、検察庁の調べでは、自分の立場も考えて横山の方に押し付けてしまえば、こっちもいいだろうと考えて供述した旨になっている。これと不逮捕、不起訴の事実と併せて考えると、調官と取引したか、そうでなければ菊地の迎合の疑いが濃い。又、菊地の一審、原審における証言も、検察官調書を意識してなされた部分もあって、右調書と同様、横山、被告会社に不利な部分は証拠価置はない。

又、横山の検察官調書であるが、恐らくは、菊地の同調書を下敷として作成されたものと認められるので、その証拠価値は右と同様である。

以上の次第で、本件は無罪である。

2. 次ぎは本件六、〇〇〇万円関係であるが、その支払、受領は、名目、理由は別として、双方実名をもって各自の真意に基づいてなされたことは、明らかである。この支払いについて課税は、受領先の不動産企画に対してなされ、納税することによって窮極的に徴税の目的が達せられるというのが横山の認識であって、そこには逋脱と言う意図、意識はなく、又、後日、契約書等作成したが、これとても判例に言う税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるものとは認め難い。

又、横山は、不動産企画より戻された五、五〇〇万円を架空人名義で取引銀行に預金しているが、これとても、期中に整理記帳すれば済むことでこの事をもって逋脱の証拠の一つとすることはむつかしい。

よって本件も無罪である。

二、原判決には、証拠の価値判断を誤り事実を誤認した違法があり、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものと思料する。

この点に関する詳細は、右一において述べたとおりである。

三、原判決には量刑極めて不当に重いものがあって、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものと思料する。

原判決は控訴を棄却し、一審判決の罰金二、三〇〇万円を支持した。

被告会社は、本件につき、重加算税を納付している。

ところで、周知のとおり重加算税は、名目は税であるが実質的には刑罰とならんで納税義務違反を防止するための強力な制裁として機能していることは否定出来ない。そして、重加算税の課税要件である事実の隠蔽と逋脱犯における詐偽不正の行為との間には、実質的に差異はない。

従って、重加算税を納付した場合、罰金の量定にあたっては、右の点を十分に斟酌考慮すべきである。しかも、本件会社は、本件起訴によって倒産状態で、横山も高血圧に悩まされている処を逮捕勾留され、斗病生活数年遂に死亡した。詢に酌むべきものである。

叙上の次第なので、原判決破棄の上、弁護人上申どおりの御裁判賜わりたく、上告した次第である。

以上

昭和五九年(あ)第一〇九三号

○ 上告趣意書

被告人 横山商事有限会社

右代理人弁護士 大島弘

最高裁判所第二小法廷 御中

一、租税逋脱犯について刑事罰を科する理由は、国の租税徴収を阻害しないためのものであって一法人の所得が社外に流出した場合、法人所得で課税するか、又は個人(所得税或は贈与税等)で課税するかは問うところでなく、要するに税収を確保できればよいのである。要するに法人が実在名儀で支出した場合は、税務上の是否認に問われるが、それは犯罪を構成するものではない。ただ売上除外や架空支出の場合或はそれによる簿外預金の設定等徴税当局の調査は勿論税の賦課徴収を著しく困難又は不能にするので、この場合は「偽りその他不正の行為」として罰せられることは周知の通りである。

二、右の観点から考えるに、仙台高裁の判決によれば「法人税を免れようと企て」「二億五千万なる架空支出」「支払手数料六、〇〇〇万の架空経費」と述べている。

然しながら推測するに、西武都市開発に対し、利益が大きく出れば、買収価格を圧縮されるという横山新二郎の考えにより二億五千万を菊地に支出したものであり、また当時政治情勢により自分の名前より不動産企画(東京にある実在会社)名儀で政治献金とした方がよいという考えで不動産企画に右経費の社外流出を考えたものであり、法人税を免れようと企てたものではなく少くともそれを立証する根拠はない。なぜならば、若し法人税を免れようと企てたならば売上除外や架空支出で対処すべきであって、本件の如く実在人に対して支出すれば、結局所得税贈与税等で課税されるべきであって(これ程巨額の社外流出があれば徴収当局は当然捕捉すべきであり、また容易に捕捉できる)。しかも法人より税率の高い所得税で課税することができ、少しも国家の租税徴収権を阻定していないと考える。

ちなみに、架空支出というのは「真実支出していない」のに勘定帳簿に支出した如く記帳するのをいうのであって、本件の如きは「真実支出」である。

三、更に高裁判決はこの社外流出について「自宅に通帳印かんを保管し管理支配を続けており、形式的にはともかく実質的にみれば……」と記載しているが、それならば例えば会社が好況の場合、その代表者が孫に贈与したとするとその印かん通帳は当然社長が保管するであろう。また、形式的にはともかく実質的に六口といっているけれども、租税犯の如きは、先づ形式性が優先すべく、公表帳簿に不正がない限り、実質性云々を論議すべきでなく、その立証はできない訳である。

勿論、売上除外や架空支出があった場合こそ実質性(犯意)を論じらるべきである。

四、要するに判決は法人税という観点に立ってのみ論議しているのであって、広く税体系一般という観点に立って考えるならば、本件の場合所得税等で補足すべきことであって、しかもそれは極めて容易なことで租税徴収権を阻害することはない。

判決のいう如く実質的に犯意があるとしても公表帳簿において記載されている限り、それを立証することは不可能である。要するに租税犯の保護法益は租税徴収権の操作であるということであって、本件の場合は、いかなる意味でも「偽りその他不正の行為」と言うことはできない。

五、昭和五九年六月一二日の仙台高裁における菊地徹郎に対する証人の尋問書をみても、検察当局は、本件は「実質を伴わない嘘」の支出であると考えている。しかし、公表帳簿に記載されている限り嘘の支出か、真実の支出かを論ずることはできないであろう。税務調査において通常は支出があれば、資料せんを作り、相手方税務署に通知する。相手方税務暑は、支出された者が実在するか否かを調査し、実在していれば、申告期限をまって適切な処置をなし、若し、実在しなければ(架空支出又は売上除外)逋脱容疑として特別調査或は査察立件等の処置をとるのが現状である。更に「実質を伴わない」と言うならば、身近な例でよくある例であるが、同族会社の代表者が当該法人からその愛人に多額の金銭を支出(実在名儀)した場合、果して実質を伴わない嘘の支出となるであろうが、勿論その場合、認定賞与や贈与税の問題はあるが、それは税務上の是否認の問題である。要するに公表帳簿から支出されている以上、「実質を伴うか」「嘘の支出か」を問うことはできない。なぜならば逋脱犯の法益は租税徴収の侵害であり、どのような計理をしてもいずれかの段階で課税されれば、法益侵害はないからである。租税犯と言うのは一般の犯罪と違って、「偽りその他不正の行為」(売上除外・架空支出等)がない限り罰せられることはないのである。

六、最後に量刑の問題である。菊地に対する右金員は、昭和四九年二月末に公表帳簿において支出されているが、菊地の個人所得の申告期限は昭和五〇年三月一五日であり、もし菊地がこの時点において、正確な申告をしていれば、税率の高い所得税であるから、国庫利益を侵害されることもなく、若し菊地が横山商事に返還するとすれば、横山商事は右金員を公表帳簿に受入れしたであろう。このように「期限の利益を無視」して税務調査や強制調査が入ることは暴挙であり、人権無視であるのみならず横山新二郎はすでに死亡しており会社自体がすでに実質存在していない事情を考慮すれば、被告会社に対する二、三〇〇万円の罰金は重すぎて量刑不当である。

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